冥府

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冥府の戦友と語る

聖籠町苦節四十年の歩み


新潟東港開発の訪れ
(5)東港開発道路建設の経緯

東港の開発に伴って一番最初に着手したのが東港開発道路の建設であった。
開発の手順からは当然のことであった。 開発道路は国道七号線に連結する重要な施設である。
当初の法線は大夫興野の渡辺敬夫氏の住宅附近を線引きした。
これには佐々木を通して佐々木駅との連結路を狙ったが、これを変更して現在の法線になった。

臨海工業団地における公共施設、港湾、埠頭、道路、鉄道、上下水道、電気、ガス等の施設の建設、管理等に関わる負担は全ての公共施設と同様に規定されている。
これがためには事前に協議がなされていなければならない。
協議と着工にあたって必用な経費分担の定められた額を予算措置しておく。
当初これらの事業の認識が欠けていた。

その点、事業主体のあり方、一部事務組合法人組織のあり方によって、手続き上の変りがある。
しかし、結果は同様となるがこれほどに大きな事業ともなれば当然と地元負担も加重となる。
これがための財政力が必要になる。
場合によっては財政力がないと難しいことになる。
開発道路の例を見よう。
当時、この開発道路の聖籠村に関わる負担額は千二百万であった。
この金額は当時の聖籠村の土木予算の年額に相当した。
到底負担に耐えられるところでない。

渡辺新潟市長は大変理解を示されて口頭ではあったが、「新潟市が負担をいたします」と言ってくれた。 私も聞いていたし、勿論村長も聞いた。
聖籠村としてはそれで済んだものと思っていたところ、既に道路の舗装まで完成共用していたとき、県港湾課の大久保補佐が負担金を求めて日参して来た。
当時新潟市も財政が悪化していたそうであり、また行政の常識からして他市町村の負担金を肩代わりするなど出来ることではなかった。

新潟東港開発という大事業がこのような安易な考え方で進められることは許されないのである。
結局は特別地方交付金によって三ヵ年分割で支払いが実施されたのである。
昭和四十八年以降のことである。
問題は開発の受益によって投資が出来得ない財政事情があったということだ。
後年下水事業についても工場用地の造成コストに参入しないまま売却をしたがために膨大な負担が伴わなかったことになる。
しかし、この時点では開発による受益があり、堪えてゆける状況があった。


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