冥府

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冥府の戦友と語る

聖籠町苦節四十年の歩み


新潟東港開発の訪れ
(4)集落移転交渉と用地買収前後の状況

本事業が開始される前後における公共事業等に関わる状況をみると、金清水川・八幡附近(現在の岩村組社屋を中心とした附近)の土地は戦後政策により松林を伐採して引揚者の入植或いは農家に対する増反で解放農地として開墾した畑地であった。
民間の売買事例で最低価格で反当り十八万円から十二万円が相場であった。
金清水川の改修に伴う農林省補償価格(豊栄市居山前)で二十三万円。

これは当時としては破格であった。
国道七号線沿いの現在の北興化学工場の立地に伴っての買収価格は平均二十六万円であった。
海岸砂丘地帯の農地は農地としての売買事例はあまり無かったが、五千円程度のところもあったという。
このような状況の中で東港開発道路の用地買収価格(現在の藤寄を横断している道路)は七号線より刻んで、順次格差を付けた。
最高で六二万五千円で妥結した。


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