冥府

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冥府の戦友と語る



ガダルカナル島戦場へ

昭和十七年九月十六日、ジャワ島タンジョンブリヨークを出港、いづくとも示されず更なる戦場をめざして南太平洋上を洋上を進む。
僅かに六ヶ月の日時であったが戦闘目的を果たし去り難い思い出と未知への船出となった。
この戦闘で区切りがついたものと早合点をして内地帰還説まで出て気の早い者はみやげ物を準備した。
今考えればナンセンスであった。
一国の命運をかけた戦闘がこんなものでけりがつくわけがない。
みんな考えが甘かった。

船出をした海洋は静かで透明度が深く神秘的な紫紺である。
ジャワ島を徐々に遠ざかってゆく船体にまつわる海蛇の踊るような姿をよく見かけた。
船団の近く併行して船と速度を競うかのようにイルカの大群は白浪を立てて人間を意識して遊び仲間のようについてくる。
自然界は静かで美しい、戦争は人間同志のみの因業なのであろうか。
船は東々南へ向かって進んでいる。
蒼く澄んだ大空、暑い陽ざし、時たまスコールが海面上を突き刺すように降り注ぐ、甲板上での水浴である。

時々島嶼が見える。
甲板上に天幕を張って昼夜を過ごした。
神林村出身の同期である、佐藤泉曹長から退屈しのぎに囲碁を習った。
これが後年の趣味となった。
下田村出身の飯塚綿作軍曹は初年兵時代の第一中隊から大隊本部と私の部署を追って来た、達筆で性格の従順さで弟のような可愛い部下であった。
太い眉の新発田出身の中村勤軍曹は人なつこい屈託のない人物で周囲を和やかにした男だった。
これらの戦友と起居を共にしていると階級や年次を忘れ楽しい家庭生活をしているのと変わりがなかった。
加えて南海の静けさや穏やかさはこの先に飢餓の島、死闘の戦場の魔が待っていることなどの想像もつかなかった。

みんな死んだ。
あの暖かい心の通いが年を重ねるほどに厚く思い出されて消えることはない。
彼等にとってはあれが、あの船旅が死出の航海だったのだ。
私はこうした戦友を心の支えとして生き、冥土での再会を楽しみにそれを死生観として生きて来た。
余生の指標ともしている。
毀誉褒貶も打算もなく交わった友情と生活はまさに空である世に生きた佛教の教えに従ったようなものである。
この航海を最後に再び戻ることのなかった戦友二千八百余名の方々と共に今ガダルカナル島へ向かっている。




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