冥府

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冥府の戦友と語る

大東亜戦争への始動

昭和十六年十二月三日突如移駐の為、新発田原駐地を極秘裏に離れた。
無情の別れであった。
行き先も教えない。
私の近所から乳呑子を残し召集された横山○(言忠で一文字 いさむ)が私の部下に召集されている。
この親子にだけは面会をさせたいものだ、しかし軍律の壁は厚い、それより親子の壁は厚い筈である。

彼の親戚が西ヶ輪で提灯店を営んでいることを知っていた。
出発するときの道路脇であった。
極秘裏に母娘を呼び寄せ対話は出来なくとも顔を合わせるだけでもよいと思い、親戚の間口に立たせた。
そして出発行進のとき見事に手を振り合っている親娘が無言の別れをした。
出陣にあたり、ただ一場の密かなる風景であった。
こんな秘話があってよいのではと思った。

誰にも感じとられなかった。
新発田駅より貨物列車に乗り防諜上の行動であり窓は全部閉められた。
満州への出発のときとは全然違ったものであった。
せめて沿線の風景くらいと思ったが閉じられて見れない、みんな無言であった。
到着したところは千葉県習志野の兵舎であった。
待機をするのであれば新発田駐屯地でもよかったと思うのだが軍の意図はわからない、飽くまでも防諜上の理由らしかった。
満州よりの帰還後一ヶ年と二ヶ月の出陣となる。

この頃わが国は国家民族の生死存亡をかけての外交交渉の土壇場であった。
我々には知る由も無かった。
昭和十八年十二月八日、習志野においてラジオ放送で米英に対する宣戦布告を知った。
同時に真珠湾攻撃も知った。
海軍航空隊の空襲作戦は神州不滅を信じていた国民の戦意を昂揚した。
我々には過去の戦場ノモンハン事変における不覚が頭に残っている。
しかもあの事変は休戦という表現で幕を閉じられていたが、ソ連としてはどのように受け止めていたであろうか。

その恨みか、野心か、打算か大東亜戦争の終戦直前に我が国との不可侵条約を一方的に破棄して悪魔の正体を露しめた国である。
我々は一抹の不安を抱いている。
我が国は昭和六年勃発の満州事変以来昭和二十年大東亜戦争に至るまで十五年戦争を総稱している。それなにりに相互関連をした因果関係があった。
それを解明することではないが、もっとも深く関わったのは我々の年代である。

国際用語で宣戦布告なしで戦うことを事変と呼稱しているが今次の戦いは明らかに戦争である。
我々が昭和十二年緒戦に参加をした中国大陸では事変としているが未だに続いている。
勿論、今次戦争とは連動している。
ラジオ放送では海軍の戦果のみで陸軍は今後どのように展開してゆくのかわからない。
或いは我々が魁けとなるのかも知れない。
現にここまで前進して命令を待つ態勢をとっている。
召集された方々は殆どが妻子を残して生死の定まらない戦場に出される。

心中を察し大変なことと思いやる。
既に矢は放たれたのである。
順次部隊毎に宮城を参拝した。
未だ見たことのない東京見物もした。
軍も粋なはからいをしてくれる。
習志野待機の一ヶ月は訓練もなく寛いだ期間でもあった。
嵐の前の静けさでもあった。




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