冥府

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冥府の戦友と語る

故国よさらば戦場へ

昭和十七年一月十六日、第二師団主力は習志野を出発、一月十九日宇品港に集結する。
真冬の寒風が肌に冷たく、海岸の倉庫内で冬服を脱いで夏服に着替えた。 
  ここで着替えた服が昭和二十一年五月迄着用したことになる。
よくぞ四ヶ年の間持ちこたえたものだ。
夏服は南国行きの命令表現である。
一年二ヶ月ぶりの輸送船である。
目的地の明示はない。

船倉特有のペンキの匂いは満州航路のときと同様鼻につく。
船は出航後明らかに南へ向いている。
玄界灘の荒波、船酔いは激しく苦しい。
一月の極寒は三日後には南国の暖かい気温に変わった。
みんな地球の不思議さを知る。
穏やかな南国の海に出ると滑るように船は進む。
出航後三日目に停泊したところは台湾の隆雄港であった。

岸壁に船を寄せた瞬間、海風ではなく陸から別の風が吹いてきた。
吹いて来る風は温かく柔らかで頬を心気持ちよくなぞる。
戦争の途次でなければ楽しい旅の味わいであろうに。
早々に船べりに群がる小船が果物を積んでいる。
銭は使えない、物々交換である、籠に入れて吊り上げる。
日本では多く口に出来なかったバナナ・ザボン・パパイヤ等、兵もはしゃいでひとときを楽しんだ。

ついで一時上陸をした。
南国の土を踏むのは初めての者が多かった。港に近い学校を宿舎として一泊をした。
泊まったといっても板場にごろ寝である。
野生の猿が窓辺に寄ってくる。
出航後幾何もなく赤道通過である。

ただ距離感が漂う、南の空に輝く南十字星(イラスト南十字星)が少し傾斜して輝いていた。
いづれも学校の地理に教えられて頭に残っているだけである。
遠い南の地平線近くに・・・
この後も絶えず戦陣の空を超えて目に映り輝いている実感と共に心の拠りどころともなった。
南冥の空、宇宙への憧れもあった。
時折甲板上に集まって南国のロマンに浸った、戦陣の無聊を晴らす為に。




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