冥府

日本陸軍 第二師団 歩兵第十六連隊 新発田 あやめ会 戦記 戦死者名簿 ガダルカナル 雲南 ビルマ ジャワ ノモンハン 遺骨収集 政府派遣

冥府の戦友と語る

大陸よさらば故国、原駐地新発田へ帰還

昭和十二年四月十日渡満以来三年七ヶ月でこの地を去る。そして故国、郷里へ帰る。
帰るよろこびか、別れる淋しさか複雑な心境である。
在満約四ヵ年訓練・戦闘・移動等あわただしい歳月であった。
すべてが別の世界に生き新しい出来事であった。

昭和十五年十月二十八日新発田駅着駐屯地に入る。
このたびは検疫等の関係もあり宇品港に入港した。
なつかしい営庭の老松が晩秋の雨に濡れながら迎えてくれた。
雨に打たれて震える様相はよろこんでいるようでもあり泣いているようでもあった。
昭和十二年四月十二日の渡満のとき門出の行進ラッパで送られた想い出が浮かんだ。
あのとき勇んで行進をした約五百名の戦友は帰れなかった。
ご遺族のご心境や如何ばかりか、この日を迎えられなかった世の流れがうらめしい。

幾度か夢に見た故郷である。
戦塵を洗い落とす我家の実感、夢ではなかった。
故郷は変わりなく生きていた。
広大な大陸の感覚が事物の尺度を変えて目に入る。
寸詰まりになったかのようだ。
家の裏の崖が随分段差があったと思っていたが、こんなにも低かったのかと感ぜられた。
住む環境によって人間も視覚や感覚がこんなにも違うものかと驚いた。
より変化しているものは人生観そのものではないかと考えた。

そして両親がすっかり老化した姿に驚いた。
家の中に入ってさらに驚いた。
私の軍曹当時の防寒帽をかぶった拡大写真が入って飾られていた。
慰霊祭用のものであった。
昭和十二年私が虫垂炎突起兼腹膜炎を患っていながら無理を押して粛正に遠征をし帆刈軍医さんの診察結果緊急入院でハルピン陸軍病院に搬送手術をした。
重傷のため第一報(危篤電報)が打電され村葬の準備をしたときのものであった。

しかし一命は助かった。
帰郷後外泊はわづかな時間であったが、数年ぶりで自分の家に戻り生涯の中でもっとも得がたい静かな味わいのある時間であった。
中国戦線で目にした逃げ惑う住民を巻き込んだ惨状のことを思い出して故郷の平和と重ね併せたとき慄然とした。
あの後ろを振り返りながら逃げていく住民の姿が脳裏から消えない。
同胞を、故郷と国家を護らなければならない。
この国土を戦場にしてはならない。
また、異民族の支配にゆだねてはならない。

決意更なるものが涌いてくる。
この想いが故郷への唯一のお土産であった。
何にも代え難いおみやげと思った。
みんなも同じ想いでを抱きながら故郷の空気を吸い土を踏みしめたことであろう。
帰国後は訓練の様相がすっかり変わった。
兵営の城壁に縄梯子をかけて昇り降りをする。
また、宮城県石巻海岸まで行って船よりの上降訓練等、予想される戦場があきらかに変わったことが意味された。
一方帰還後の留守部隊において頻繁に予備役や補充兵の召集や新規部隊の編成、新設部隊の送り出しが行われた。

また常設部隊である歩兵第十六連隊の部隊名が東部第二十三部隊と改名された。
防諜名であるという。
世情がなんとなく騒然としている。
対中国戦線のみではなく、他の要因が発生しているようである。
ゆっくりと故郷の味わいに親しんでいる暇もなく忙しい隊務である。
異様な雰囲気に包まれ動いている。
何を想定すればよいのか、具体的に何も教わっていないと考える端緒もない。

これは或る日曜日どこも出たことのない母が突然面会に来て申すには、山形県と新潟県の県境にある三瀬のお宮(山形県の県社)におまいりに行こうと言い出した。
母も部隊の動きに感知しているものがあるらしく親として考えた精一杯の子供を思う行動計画なのだろう。
曰くその神社の周囲には沢山の笹薮があって茂っている熊笹は全部穴があいている。
その原因は神様が兵達の身代わりになって弾丸を受けたのだという。
その神様にお参りすることによって戦場に立った場合神様がお守り下さるのだという。

母親はどこから聞いて来たのか真剣そのものである。
半信半疑ではあったが、これを機に母と一緒に旅することも出来る。
母親もそれなりに安心を与えることにもなり、親孝行のつもりで快諾をした。
それこそ神が与えてくれた機会であった。
羽越線で新発田駅から山形三瀬駅まで片道二時間三十分の旅であった。
生涯の中で母と旅を楽しんだのはこれ一回だけであった。
母親として子供に満たした愛情とよろこびの表情はまたと得られない美しいものであった。
或いは出征後激戦地で負傷・疾病等で幾度か死地を脱出生き残れたらは三瀬神社のご利益であったと思い、また母親の一念愛情の賜と思っている。
深く大きな親の思愛に感謝している。

新発田駐屯地勤務においては一緒に満州から帰った人達もそれぞれに部隊の再編成によって別れ中支方面に転属する者、部隊に残る人等あわただしい人事異動であった。
時代が我々を動かし生死の線上に立たせている。
ゆっくり故郷を味わう暇もなかった。
それにしても大陸での三年七ヶ月は長い時の流れを感じた。
変わった空気、木、風物、加えて命をかけた事変が二回その行動の広さ、すべての物差し尺度が違っていた。

青春は一瞬の間に、飛び去った。
青春でなければ堪えられなかったであろう。
時日の経過というものがこれ程に違う人生があるのかと考えさせられた。




  • 前頁


  • 次頁



  • トップページ