冥府

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冥府の戦友と語る

聖籠町苦節四十年の歩み


東北電力・東新潟火力発電所立地の経緯
昭和三十六年九月突如として新潟日報誌上に発表された新潟東工業港計画には既に電力立地が表示されていたのである。
勿論構想の域を出るものではないが、位置は太郎代浜地区に描かれていた。
その後の精査検討された図面には電力立地は亀塚浜磯山地域に計画図とされていた。
開発事業が進むにつれ、東北電力としては立地実現の可能性を確かめるかのように現地に立ち入り調査をされていた。

行政手法としても昭和三十六年九月以降、東港に関わる対応として組織、調査、検討、各種指定法令に基づく整備等に追われ、加えて新潟地震、豪雨、豪雪災害等々めまぐるしい年度の行政であった。
昭和四十年亀塚浜漁業補償漁業権の抹消も終わり、替地集落の移転調印を終了した。
昭和四十二年六月一日、国の特定重要港湾の指定となり、新潟都市計画地方審議会での新潟臨海工業地帯内街路線も決定する等、徐々に港湾及び背後地を取り巻く諸法整備も出来た。

昭和四十三年、東北電力株式会社と新潟軽金属株式会社による共同火力。
三十五万キロワット一基の建設計画が提示された。
次いで東北電力株式会社としての六十万キロワット四基の施設計画が示されたのであった。
立地場所は亀塚浜磯山である。
日本海側にもっとも広く深い面積のある越後平野を背後に新潟東港及び背後の開発計画は重工業地帯としての発想で計画策定されていた。
従って本計画の推進にあたっては電力の供給確保は不可欠な要件である。

当時本村の海岸地帯は加治川右岸の決壊が甚だしく、約八万ヘクタール近い面積が滅失していた。
これに反し、左岸地帯は海岸が前面に出て、地積が増えていた。
これがため地籍訂正をして相当面積を更生して、電力用地として売却をした経緯がある。
町有地、民間地も順調に協力を得て、エネルギー基地としての確保ができた。
ここで発電所、石油備蓄基地、液化天然ガスの受け入れ基地等の整備が可能となった。
今後の所要を満たすエネルギー基地はこれで完全に確保できた。

昭和四十五年九月二日、東北電力株式会社と聖籠村との間に将来計画を含め立地に関する基本契約が調印された。
内容としては東北電力株式会社、新潟軽金属株式会社の共同火力発電所三十五万キロワット二基、東北電力株式会社の六十万キロワット四基の計画であった。
本調印の総量締結についての目的は今後設備をされる施設に発電量等の増減はあるにしても、変電所、送電設備、港湾施設等に見合う必用設備を最初から承認を得て施設しないと事業効率が合わない理由からであった。

本協定に基づいて施設の着工にあたり、必須な手順として公害防止を主体とした確認事項がある。
公害防止協定の締結である。
時あたかも、我が国は十九世紀の遅れを取り戻そうかのごとく、全国各地で工業立地を競い合っていた。
従って各種の公害問題が惹起して環境現象のトラブルが発生するに至った。
特に表日本一帯は熾烈な公害闘争に揺れていた。
企業の誘致と公害防止は裏腹の関係にあり、大きな社会問題であった。
我が村も当然のこと取り組みを余儀なくされた。
それぞれの公害防止協定の事例をみると、その内容は大気汚染、水質汚濁、騒音防止、臭気等について規制値を定めて制定をしている。

村も公害対策審議会を設け、勿論議会としてもこれを提起、議論がなされた。
当然県として既定の条例があり、これに準じなければならないことは、必然である。
しかし、立地する企業はその業務・操業の内容において差があり、また一定不変なものではない。
絶えず技術や状況によって変化するものであり、一定の基準値として限定すべきものではなく、流動的に適応可能とすべきものと考えて、本村は次のような条例を基本とした。

条 例
事業者が工場及び事業場の新設、増設、変更における手続き条例(昭和五十六年十二月二十一日 条例三十一号)
第一条 地方自治法第二条第二項に基づく事務を達成するため、法第十四号第一項に基づき別表の事業者が工場及び事業場の新設、増設、変更等における手続き条例を定める。
第二条 (略)
要するに本町行政区域内における事業者の前述行為を行う場合は、公害、防災等の協議協定を行わなければ認めないということ。
特に協定書に特筆的であり、業界側と協議が難航したところは「無過失責任」を義務づけたところである。 現在、該当要件は発生していない。
第三条 (略)
そして、現在は十六条からなる指導要綱を設けて開発行為及び事業場等の設置について運用している。

このように本町の公害防止条例は共同火力発電所の立地が最初の該当となった。
共同火力発電所二基の立地は極めて平穏理に立地協定が出来た。
しかるところ送電線の施設について思わざるところ新発田市佐々木地区において反対運動が起こった。
聖籠村を原点として、しかも広域に供給される電力であり、欠くことの出来ない半公共的な基本エネルギーについて抵抗があり、このことが同地域に影響のある新発田川放水路計画に聖籠村の承認がとれなかったという不信感が出た。
結果的に排煙脱硫装置をもって妥結をみたが、その後三ヵ年の稼動で液化天然ガスの導入で排煙脱硫装置は不要のものとなり、高額な経費をかけ撤去した。
その損失額は五億円と聞いている。

我が村に対する挑戦ともいわれ、村民感情を刺激した。
さて、ここでこれまでの東港開発を取り巻く進捗に関わる諸事項を判りやすく列挙する。
・ 昭和三十六年 新潟日報誌上に計画構想発表
・ 昭和三十八年七月十一日 東港建設起工式
・ 昭和三十九年二月 用地買収の交渉開始
・ 昭和三十九年四月一日 臨海工業地帯開発建設事務所解説
・ 昭和三十九年十二月五日 新産業都市計画区域編入
・ 昭和四十年四月 亀塚浜漁業権補償妥結
・ 昭和四十年十二月二十五日 替地集落移転調印
・ 昭和四十四年十一月十九日 新潟東港開港宣言
・ 昭和四十五年九月二日 新潟共同火力立地調印、東北電力立地基本協定調印
・ 昭和四十五年十一月十六日 新潟都市計画区域編入、都市計画区域用途地域指定
・ 昭和四十八年十一月二十四日 東北電力発電所一号機の立地反対紛争(後述)
以上の状況の中で、東北電力は四百六十五万キロワットの発電量を確保。
日本海LNGは年間二九〇万トン。
その他、石油備蓄基地が確保。
名実ともにエネルギー基地として、国策に応える態勢となった。


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