冥府

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冥府の戦友と語る



穆稜站駐屯地に帰還

ノモンハン戦線での約二ヶ月間は長途を駆けた地の果、地獄さながらの行動であった。ハルハ河はまさに三途の川であった。
昭和十四年十月四日、穆稜站へ帰還する。
第一大隊は源紫郎大隊長以下全員無事に帰還した。
いかに戦争とは云え第二大隊の惨事は予想だに出来なかったことであった。
二日間にわたる攻防を目前にして衝撃は心の傷として後年まで残った。
納得出来ない戦闘であった。

帰還後間もなく兵員の補充隊員が新発田留守隊より到着した。
故郷の香りを籠めた召集兵が主体である。
あまりの早い処置に驚いた。
みんな郷土出身者である。
予備役・古参兵等一般社会経験者である。

既婚者が多く隊内には今までにない多彩な家族的な雰囲気が融合して階級や軍律を越えた人間関係が新しい秩序をもたらして多くの教訓を与えた。
現役兵は家庭から離れ異郷の地で家族的な雰囲気に餓えていた。

時たま送られてくる慰問袋に入ってくる写真を目にして自分の弟妹のように目を細めたのしんでいる。
団体生活の規律は書いてある規律だけではなく、不文律の中にむしろ貴重な教えの基本があるものだと知らされた。
召集兵の混在で賑やかで和やかな空気が漂っている。
これらの召集兵は昭和十五年に部隊が原駐屯地新発田に帰還すると同時に招集を解除となり家庭に帰った。
ご苦労様でありました。

ノモンハン事変より帰還後は平常通りの日々訓練に励んだ。
この頃我が国は国際社会で孤立して必死な外交問題に迫られ生き抜くことに懸命な取り組みをしていた。
我々には知る由もなかった。
ノモンハン事変は国境紛争なのか、ソヴェトの領土南進政策に基づく紛争であったのか、明治時代から狙っていた野心行動の仕組まれた延長戦であったのか未だに釈然としない。
単調で味気ない荒野の中で激しい訓練は若いエネルギーを消化した。
その行動によって果して青春の凡てを満たすことが出来たであろうか、その背景には何があったのであろうか。

それは国民の期待に対する使命感・責任感・国民の総意が駆り立てた絆で結ばれたものであった。
そしていつか平和な豊かさを夢見て希望が支えた青春であった。
穆稜站の東方に連なる丘陵が兵舎から眺めると越後山脈の形に似ていた。
この山裾を縫って走る列車が駅に近づくと汽笛の代わりにカランコロンと大きな音響で音楽的な音色となり山に谺(こだま)する。
殺風景な国境の街に稜なす暖かい響きであった。

しかもこれらの汽車の機関車は殆ど新潟鉄工所製作とプレートが貼ってあった。
さて昭和十二年早春渡満以来、現地訓練、北支事変、ノモンハン事変、或いは現地人との交流風物に親しみ戦陣という異常な経験をして約四ヶ年の青春を大陸に過ごした。
斯した大地の中で我々は何を失い、何を得ることが出来たのであろうか。
愈々北満の地と決別する時が来た。

多くの帰らざる戦友を大陸に遺して去る、後ろ髪を引かれる思い出や未練を残して故郷に帰る。
在満四ヵ年永かった。短かった、どちらも本当だ。
我々が移動するところ必ず更なる任務が待ち受けている筈である。
故郷の夢のみを楽しみにはしておれない。




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