冥府

日本陸軍 第二師団 歩兵第十六連隊 新発田 あやめ会 戦記 戦死者名簿 ガダルカナル 雲南 ビルマ ジャワ ノモンハン 遺骨収集 政府派遣

冥府の戦友と語る

陸軍少佐、辻政信、大本営参謀と
         歩兵第十六連隊との関り

大本営参謀、辻政信と歩兵第十六連隊は大東亜戦争は勿論、昭和十四年におけるノモンハン事変を含め絶えず後方で督戦者的存在の関りを持った。
十五年戦争の主要戦場に立たされた新発田歩兵第十六連隊の全千戦にわたり辻参謀の関わりがあった。
ノモンハン事変、北支事変、ジャワ作戦、ガダルカナル島作戦、雲南作戦、ビルマ・イラワジ河畔大会戦等である。

五味川純平著「ガダルカナル」の一五八頁に辻参謀がノモンハン事変にふれ、大きな誤りを書いている。
次のように書いている「ノモンハン事変のときも敗走して来る兵達を一喝して任務に戻らせた」と批判している。
(我が連隊は休戦協定によって昭和十四年十月十七日に堂々と撤退をしているが、敗走はしていない)
辻参謀はノモンハン事変の戦局を知らなかったのか、間違った資料を著者に送ったのか、無責任にも程がある。

次に昭和二十一年に発行した「ガダルカナル島戦」である。
戦後早々の発刊で紙質は粗悪で俗にいう藁紙である。
この本の内容がもっとも許せない。
彼の地で逝くなった連隊長広安大佐以下二千八百名諸英霊に陳謝させたい。
自分達の作戦指導の誤りを糊塗するために第二師団のことをジャワで安逸をむさぼって、その兵力は弱体化しこれがために敗戦に繋がったと酸詳した記述であった。
私はこれを読んで怒り心頭に発するどころか、軍刀があったら引っさげて引き摺り出して謝罪をさせたかった。
時既に国会議員として議事堂に収まっていた。
私は次の抗議文を本人宛に送った。

あなたの著書みて逝くなった二千八百名の連隊長以下の将兵及び生存者はあなたに宣戦を布告したい。
あなたは大本営参謀としての資質がどうであったのか、我々からすれば、あなたのような人が大本営参謀であったが為に敗戦をしたのではないかと思っています。
さてあなたは何を考えたのか"ガダルカナル島は天が落ちてもが島は大丈夫"だとか
また昭和十七年十月二日参謀本部第一部長宛に「前途に波瀾もあるが大丈夫である。兵力もこれで十分であるから安心をせられたい」という楽観的な作戦評価の電報を寄せて作戦部を喜ばせていたという。
何をもってこのような評価をされたのか。

そして戦争にならない戦争をして敗戦の責任を部隊に転嫁するとは指揮官としてもっとも卑劣なことです。
特意げに戦後史を出されたとはもってのほかです。
しかも前線の模様まで書いているが、あなたは前線を語る資格が無い。
あなたはアウステン山に入るとき、仙台工兵隊の作業隊(樹木伐採隊)、両翼隊の分岐点までしか来ていなかった。これは事実です。
自ら前線に出たと書いてありますが、我々に向かって嘘は云わんでください。

次にまだあります。
「十五対一」の著書に出ている、ビルマ雲南龍稜の断作戦において、歩兵第十六連隊第一大隊長、勝股治郎少佐を処罰したことです。
その当時の状況は私が一番よく承知していることでした。
それはあの夜の戦闘では私が指揮班長であったからです。
実戦にあっては机上作戦や後方本部の思惑どおりにゆかない事件変化が伴うからです。
そのことはあなたもご存知の筈、あの夜の気象条件、兵員の体力消耗度、兵要地誌の不備地形の状況が殆どわからない等多くの問題がありました。
加えてあの夜初めて渡された方向指示器なるものが器材と地図が豪雨のため濡れて作動しなかった。

このような悪条件のもとで黎明攻撃をせざる得なかった。
それをあなたは遥かなる雲龍寺の山頂から双眼鏡で覗いておられた。
重複する山々からあの闇夜の攻撃状況がわかる筈がない。
それでも我々は死力を尽くして示された二の山陣地は占領したのです。
それが命令どおりの夜間攻撃が出来なかったという理由で一方的に処断されたことは納得出来ない。

勝股治郎大隊長処断に伴なって第一大隊の戦力が宙に浮いた、重要な戦闘の最中に軽々に誤った処置が戦力の影響という責は問わるべきである。
勝股治郎氏の名誉回復と第二師団に対する謝罪を求めます。
以上の抗議文に対し辻氏は行方不明の出奔に先立って、最後の著書となった「亜細亜の共感」に署名をして送ってくれた。
謝罪を籠めた眞意を涼とした。
昭和二十六年五月二十九日の受領であった。
現在この本は新発田普通科連隊図書室に寄贈してある。
共に逝き戦友にも捧げたい。




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