冥府

日本陸軍 第二師団 歩兵第十六連隊 新発田 あやめ会 戦記 戦死者名簿 ガダルカナル 雲南 ビルマ ジャワ ノモンハン 遺骨収集 政府派遣

冥府の戦友と語る

佛領印度支那に進駐

遠い遠い道であった。
ジャワの進攻、ガダルカナル島戦、雲南、ビルマ、印度支那と遠く困難を極めた道であった。
我々のこれからの新しい任務は全く示されていない。
周囲やこの国情がどのようになっているのか、軍事目的が必要とするのかもわからない。
この佛印は当初大東亜戦争の基国にもなっていたことはわかる。
我々に何が必要なのか。

現在の佛軍は我が軍に拘束されて我々の兵舎にした建物の隣である。
てづれ我々に与えられるのは佛因が墓場になることではないかとみんな覚悟している。
戦友達は幾度かの補充で変わっているが、ほとんど県人同志であり、和と秩序は保たれている。
但し我々には戦闘単位の装備器材は失っている。
しかし命ぜられれば竹槍でもはからい立ち向かってゆく気力は失っていない。
フィリッピンで整理をした後、ビルマ戦における未整理事務を行う。
兵達は休養と体力の回復を必要とする。
人一人が逝くなって悲しみ、動揺、痛みがある。

それがガダルカナル島以降五千人近い将兵が逝くなっている。
戦争なんだからと簡単に伝え切れないことである。
有為な若者集団であり、かけがいのない人材であった。
いくら惜しんでも戻らない命である。
南国に眠っている。
事務処理をしながらしみじみと感じた。
昭和二十年三月十日、イラワジ河畔陣地を後にしてから五ヶ月余撤退の道を歩いてここに来た。
これから先のことは全くわからなく迷っている。
こんなとき青天の霹靂の如く、終戦、敗戦の勅令が下った。

昭和二十年八月十五日
ああこの戦争はなんであったのであろうか
死んだ戦友、生き残った我々
国家は みんな雲の中に入って自分すら見えない
どうなるのか、何をしたらよいのか
軍事機能も失い、我々には行動、思考の基盤がなくなって宙に浮いた風船のようなものだ
時間の経過を待つのみ




  • 前頁


  • 次頁



  • トップページ