冥府

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冥府の戦友と語る

聖籠町苦節四十年の歩み


聖籠村助役に就任
昭和三十五年一月、坂上作造助役のご逝去によって村役場助役は空席となっていた。
同年五月、突然渡辺得司郎村長より私に助役就任の要請があった。
議会議員当選から八カ月目のことである。
即答は出来ず、後援者の御意を伺って承諾をした。

六月定例会に提案されて、五月十四日付で議会の同意を得て就任をした。
爾来助役六期(最後の任期は二年二ヶ月)通算二二年二カ月在任することになった。
助役は総務課の隣で、村長室の門番のようなところであった。

翌日出勤をすると、坂上氏の机がぽつんとおかれて、机の上には硯箱が一つ、筆も無かった。
翌日の午後助役の就任を待ちかねていたかのように天野用務員が来て「助役さん、自転車がこわれて乗れなくなりました。お願いします。」ということであった。

早速、神田総務課長に相談をしたところ金もないし予算もないということである。
二人の用務員に一台宛の自転車。
これが全集落の区長との連絡手段である。
一日も欠かすことの出来ないところである。
私はこんなやり繰りができない助役ではならないと真剣に対応を考えた。

それで中ノ橋集落の自転車店に頼んで十二月予算まで中古車でもよいから貸してもらいたいと願って間に合わせた。
今にして思えば各課ごとに配車し、用に供している。
時代の変化だけで片付かないものがあるように思えてならない。
あの貧しく乏しかった思い出は聖籠村だけのことではなかったと思う。
この時代、金がなくとも何かしら底知れない活力と希望と気力が張っていた。
戦争に負けたという諦めと、いつの日かは発展の夢があり、稔るという期待をもっていた時代であった。


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