冥府

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冥府の戦友と語る

マライ半島を目指して

南十字星が輝く南海をゆく、戦争を知らない補充員は旅情を楽しんでいる。
過酷な戦場が待っているなど予測出来ない。
ガダルカナル島戦の生き残りは少なくなった。
生きている限り戦場を闘い渡る。
逝くなった戦友を考えれば何も云うことはない。
航海は近かった。
入港したところはシンガポールであった。

シンガポールは既に日本の占領下にあった。
休む間もなく更にマライ半島へ渡り西へと進む。
十月二十五日ベラ州イポーに着いた。
昭和十八年(十七?)十月二十四日ガ島飛行場の攻撃より満一ヶ年の歳月を経た。
この一ヶ年程長く感じた歳月はなかった。
あまりにも壁の多かった歳月であった。
数ヶ年も経ったかのようであった。
その半年前は隣のジャワ島にいた。
長途の旅、激しい戦いをしたものだ。

環境も人もすっかり変わった。
二千八百名の戦友は還らない旅に立った。
茲で休養どころではない、補充兵員の訓練をしなければならない。
イポーはマライ海岸に近く涼風が吹き抜けさわやかな風光絶景な地である。
世界の六割の錫を産出するというキンタの錫鉱山が露天掘りをしている。
その跡地が湖になり、ロブスターを養殖しており誠に美味しいご馳走である。
このように豊富な地下資源は長い間英国の国力増大に寄与して来たのである。
補充された兵達の訓練は戦場経験のない者が主流であるが真剣であった。
イポーには日本から渡って来るという燕が夜になると街中の電線に止まっている姿が見られる。
燕よ心あらば故郷の便りを聞かせてほしいと望郷の念が胸をかすめた。

この地では入隊以来の戦友で共に生き残った黒川村出身大平_准尉、新潟市出身安部茂主計准尉の三人がよく食べ、良い日を送り、丘の中腹にドラム缶の風呂を沸かし入浴を楽しみ、お互いガ島戦以来の体力回復につとめた。
下士官候補者は首都クアラルンプールの養成所に派遣教育をする等、共に部隊再編に懸命であった。

風雲はやまず。
時は昭和十八年十二月三十一日、久しぶりの年末暮のお正月を迎えるための餅米も手に入り各隊毎に餅搗きをして雑煮餅を楽しみに夜を迎えた。
夢のような年越しである。
ところがその楽しみ、夢が、けたたましい連隊本部からの電話で消えた。
急遽の出動命令である。
一時の猶予もないのである。
戦争には暦はないのである。
折角の餅も食べる時間が許さない。
延べて切るばかりのした板餅のまま駅に運び貨車に積み込んだ。
そして出発であった。
四年ぶりの餅であったのに食い意地を張るわけではないが惜しいことをした。






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